これまでについて
1985
岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里に生まれる。
1989〜1991
吉里吉里保育園に通う。好きな女の子を追いかけ回したり、絵を描くのが好きな子だった。
1992〜1997
吉里吉里小学校に通う。算数が得意で、友達とサッカーしたり、自転車で探検するのが好きだった。地域のサッカークラブに入るも、FW志望がなぜかGKに。
1998〜2001
吉里吉里中学校に通う。やはり数学が得意で、勝手に先の問題まで解きまくるような子だった。部活はバレーボール部で補欠の副キャプテン。
早く受験が終わるということに釣られ、岩手県一関工業高等専門学校を受験し、合格。人生初の親元から離れ、寮暮らしに。
2001〜2005
入学の動機が不純だったこともあり、在学中にモチベーションはダダ下がり、中退を考えるように。その矢先、部活(サッカー部)で脚に大ケガを負う。日常生活に支障はないが部活を続けるなら、手術が必要と言われ、あっさり退部。学校を中退して、新聞奨学生制度を使って専門学校に通う計画を密かに立てていたが、脚のケガを理由に断念。仕方がなく、5年間高専に通い、晴れて卒業。
2005〜2008
某大手自動車会社に入社。入社動機は専門学校に通う資金を集めるため。
周りの同期は入社後すぐにマイカーを購入していく中、頑なに拒否し続ける。
目標金額まで貯金が出来たため、石の上にも3年の言葉を参考に、3年で退社。社会人として大事なことは、ここで学んだと思う。先輩方に感謝。
2008〜2009
デジタルハリウッド横浜校(現在は廃校)本科CG・映像クリエイターコースに1年間通う。中学から勉強したかったことがついに実現。バイトもせず、1年間みっちり勉学に励む。
2009
無事デジタルハリウッド横浜校を卒業するも、すぐに就職できず、人生初めての3ヶ月だけ塾講師に。小学校1年生〜中学校3年生を受け持ち、勉強を教えることに。
「素直な子はマジ天使」と、この時気付く。
デジタルハリウッド時代に知り合ったアシスタントの方の紹介で無事渋谷の映像制作会社に就職。クリエイター人生のスタートに有頂天になるほど喜ぶ。
2011
「徹夜当たり前、寝るのは気絶する時」という生活が板に付いてきた頃、東日本大震災が起こる。
自分の地元が被災している光景をテレビ越しに目の当たりに。
仕事どころじゃなくなり、人生最大の不義理「仕事を続けられる精神状態じゃないため、辞めさせてください」と社長に直訴、その日に退社することに。
それまでクリエイターとしてキャリアを育て、海外で働くことを目標に掲げていたが、震災で母を失ったことで、その目標に疑問を持つように。
「何のために自分は働くのか」を考えるように。
2013
「誰かの笑顔のために」と、ウェディング映像制作会社で契約社員として働くも、待遇悪化に伴い、退社。この瞬間からフリーランスとして働くことになる。
しかし、収入が安定せず、生活に苦しむことに。
2014
現在の妻との出会いがあり、出会って9ヵ月で結婚、その5ヵ月後に娘誕生。
それまでの人生が一変する。
「家族の笑顔のために働く」というモチベーションが芽生える。
2017
平日は、遊技機・ゲームアプリ、動画配信などの多ジャンルの映像制作会社で働き、休日はフリーランスとしてウェディング映像制作をしていたことで、体を壊し、人生初の救急車で搬送される羽目に。
娘の保育園・幼稚園の待機児童問題、妻のワンオペ育児の限界も重なり、以前から考えていた「地方移住」を決断。
関東から四国・高知に移住する。
人生初の四国!
高知県大月町に移住し、地域おこし協力隊として活動を始める。
この時、人生で初めて車を購入。
しかし、購入直後に人生初の車の雨漏りに遭遇。
台風の怖さをしみじみ感じる。
この頃から、パトカーとゴキブリを見るとドキッとするように。
2020
地域おこし協力隊をしつつ、フリーランスとしても活動していたことで、協力隊の任期を終えてからも継続して大月町の仕事を業務委託として継続案件化することに。めちゃありがたい。
新型コロナ感染症が世界的に流行。
多少の不便は感じつつも、それほど大きく生活が変わることなく、無事乗り切る。
2026
いろんなジャンルのお仕事に携わらせて頂いたことで、自分の仕事を口頭で説明することが難しいことを痛感。
フリーランスをスタートして、14年目にしてついに自分のサイトを立ち上げる。
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